名古屋城に観光!
岐阜県のアフィリエイターが名古屋城に行ってきました!
名古屋の有名観光名所は、何と言っても名古屋城、特に、名古屋で印象に残った事がありました。
かなり以前になりますが、丁度、名古屋万博の時期に名城である名古屋城を観光したことが有りました。
名古屋の官庁街の谷間を一走り走ると、名古屋城前の緑に囲まれた緑地の一角に路駐スペースがあった。 しかし、小生は残念ながら入城は出来なかったのである。
無一文の小生は入城が有料だっことに気が付かず果たせなかったのである。
従って、外部より天守閣を望める為に御堀端の方へ向かって進むと、鮮やかに西側のお堀端越しに城内の緑の森に囲まれながら、城郭の天井に聳える天守閣の上部の半分近くが鮮明に見渡せたのです。
そして気が付いたのですが、天守閣のあの屋根には、あの象徴的な名物である燦然と輝く金の鯱は見ることは出来なかったのです。 つまり、取り外してあったのです。
実は、金鯱は日本国際博覧会の名古屋地球博の開会式典で、展示されるために降されていたのでした。
実は、金鯱を天守閣から取り外して外部施設での披露や展示は、名古屋城が再建されてからでは初めての事だったといいます。
名古屋城の天守閣の金蔵は、尾張・徳川家が金を素材にして鋳造されたといわれます。
ところで、当時の日本の名城と言われたものに、大阪城や江戸城がありました。 此の両城は名古屋城に先立って築城されたが、太閤秀吉の豪壮で派手好みにも拘らず、そして、最後に天下を掌握した徳川家康にしろ、金の鯱を実際に飾る事はなかったのです。
しかし、家康は後になって気が付き、出身地でもある名古屋のお城にのみ、思い切って大なる金の鯱を飾りつけたのでした。
因みに、この金の鯱には雌と雄があるらしく、雄が北側に当たり雌の方が南側に飾られていて、そして、若干の大きさや形状が異なっているといわれます。
江戸庶民が、悔し紛れに、嫉妬心を抱いて感激しながら作った狂歌があります。
「天下様でも 叶わぬものは 金の鯱ほこ それにしても 可哀想なる雨ざらし」
金の鯱が飾られた本当の理由は、尾張藩城主の威厳を示す為でもあり、名古屋城は「尾張名古屋は城でもつ、天下の名古屋城は金鯱でもつ」とも言われ、揺るぎない天下に知られた名城でもあるのです。
ところで、凡人の気になる思惑というかで、金鯱に使用された金の価値は、一体どの位の価値があるものか。 文献等によると、江戸初期に発行された「慶長の大判」、凡そ2000枚弱使用したとされています。
その慶長大判は、等価ではないが概ね小判が10枚分(=10両)に相当するといわれます。
10両は重さの単位でいうと、凡そ44モンメで、グラムにすると165gらしい。
慶長大判の金の含有量は68%であるから、1枚に金が112g(165×0.68)使われていことになります。
これが2000枚でざっと計算すると、現在の金の価値に換算すると、10億円ほどにも成るとされます。

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